こんにちは、 天乃 繭です。
先週土曜日に内科を受診した時、お医者さんから『認知症は日によって調子のいい時と悪い時がある』と言われたけど、今日の母はその調子の悪い時。
この『調子が悪い時』になると、いつもなら動作も比較的ゆっくりで足取りも危ない感じなのに、動きに全く危なっかしさがなくなってスタスタシャカシャカと俊敏に動くから不思議なんです。
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今日も夜ご飯が済んで私が洗い物をしていると、母は急に雨戸を閉めたかどうかが気になりだしたようで、リビングの窓のカーテンをいきなり全開にし(お隣さんから家の中が丸見えになるからやめて~)鍵をガチャガチャやって雨戸を閉めようとしだしたのです。
でもこの雨戸は電動、手で閉めようとしたってビクとも動きません。
母は何度もトライしてたけど、諦めたのか何も言わずにそのまま放置。
リビングの雨戸だけで落ち着いてくれるかと思いきや、今度は隣の真っ暗な部屋に行って電気もつけずに窓を開けて雨戸を閉めようと。
既に雨戸が閉まっているにもかかわらず、私のところに来て『あさこちゃん(母の姉の名前)、雨戸が閉まらないのでちょっと見てちょうだい!』と言いにきます。
『また私の名前間違えているし』って思いながらもそのことには触れずに、『もう閉まっているから大丈夫よ』と言うとその場では納得するのですが、また部屋に行っては戻ってきて同じことを言います。
怒らない、怒らない、と自分に言い聞かせながら対応するのですが、『あら、そうなのね』と言う矢先からすぐまた『雨戸が閉まらないからみてちょうだい』と。
何度同じことが繰り返されたでしょうかね?!
さすがにイラッ。
『また始まった(調子の悪い状態が)! 一体何をやっているんだか! いい加減にしてよ!!!』って内心思いながらも、努めて平静を装いながら『大丈夫だから!』って言うのが精一杯でした。
これで終わってくれたらよかったのですが、母はまた別の部屋に。
全部の部屋の雨戸は閉めたから心配ない、と言っても納得するのはほんの一瞬だけ。
2階を閉めに行って来なくっちゃ、って言いながら電気もつけずに暗い階段を上がって行ったのには、さすがに怒り口調になってしまいました。
『だから何度も大丈夫だって言ってるでしょ!! 何で電気もつけずに階段を上がるのよ、危ないじゃない、以前みたいに階段から落ちてケガでもしたらどうするのよ!!』って。
洗い物もしなければならない、母の行動を目で追っていなければならない、母を止めなければならない、と休まる暇がない感じです。
母は母なりに自分も何かお手伝いをしようということだったのかもしれませんが、このような状態では私の手間が余計にかかるだけなのです。
いけないとは思いつつ、感謝よりも苛立ちのほうが大きくなっちゃって・・・・
早く寝てくれ~!! ですね、もうこうなると。
認知症の人に対しては、『何度も言っているでしょ!!』というようなことを言ってはいけないことは充分に承知をしているけれど、3度4度ぐらいまでは普通に対応できても、それ以上になるとホントにきついです。
わかっていてもなかなかできず、ついつい口調がきつくなってしまいます。
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母との生活は、何度も何度も同じことを言う母と何度も何度も同じことを聞かされて対応する私の『ガマン比べ』です。
この母とのガマン比べ、いつもいつも私が負けです。
今度こそ私のほうが勝つぞ!、と思っても、なかなか手ごわいんです。
いつになったら勝てるのかな~?!
怒りの感情は数を数えると多少なりとも冷静になれると聞くので、そのようにしてみるのですが、矢継ぎ早に同じことが何度も繰り返された時には数を数える間もなく先に言葉が口から出てきてしまいます。
まだまだですね!!
それにしても、一体何がどうなったときにこのような状態になるんでしょうね?!
調子のいい時、悪い時となるきっかけは何かあるんでしょうか?!
一瞬しか記憶が残らないような状態なのに、何で『雨戸を閉める』ということだけはず~っと頭に残っているんでしょうかね?
不思議でたまりません。
記憶できないというなら、雨戸を閉めるということだってすぐに忘れてしまったっていいのに。
認知症の不思議というか、脳の不思議というか・・・・・
今、母は私がこの記事を書いている横で、もう布団に入って何事もなかったかのように寝息をたててスヤスヤと寝ています。
気楽でいいな~!!
子育てをしている時と同じように、母の寝顔を見るとちょっときつく言い過ぎたな、と後悔をする私なのですが。。。
平穏だった日々が懐かしく思い起こされます。
おやすみなさい!!
平成30年4月15日
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