こんにちは、天乃 繭です。
母が認知症と診断されてから約1年半が経ちます。
この1年半、もしくは、それ以前の、あれ、何か変?と思っていた頃と今とを比較してみると、出来なくなったり理解できなくなったりしたことが増えて状態が進行したな~、と毎日生活を共にしている私ですら感じることが多いです。
でも、だからと言って、全てが全くわからなくなってしまっているのかというと、決してそうではありません。
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私は母しか知らないので、母のことを元にしかお話することができませんが、認知症の人は、大枠のところでは皆な共通したものがあるのかもしれませんが、細かな個々のことは人によって千差万別なんだろうと思います。
もしかしたら、中には、何から何まで全くわからなくなってしまっている人もいるかもしれません。
でもそうでない人達もたくさんいることも事実です。
認知症の人の脳って、本当に不可思議だな~、ってつくづく思っています。
認知症の初期の頃であったり、軽度認知症の段階なら、『認知症』というのがどういう状態なのかについて本人から聞くことも可能なのかもしれませんが、ある程度状態が進んでしまってからだと、聞いたところでそれが本当のことなのかわからなくなってしまいます。
なので、私達は認知症の人が今何を思いどうしたいのかなど想像するしかないし、その想像は『たぶん』という曖昧なものでしかないのです。
母も今となっては、今この瞬間のことしか記憶することができないし、話もつじつまが合わないことがほとんどです。
そんな状態にもかかわらず、時には『え、本当に認知症なの?』って思うほどしっかりしていることもあれば、『一体どうなっちゃっているの?やめて~!!』って思うようなこともあるんです。
脳がどのようになることで、『本当に認知症なの?』って思うぐらいにしっかりとなったり、『一体どうなっちゃっているの?やめて~!!』になったりするんでしょうかね?!
本当に不可思議だな~!!ってつくずく思ってしまいます。
母のエピソードとして、認知症の脳は不可思議だなぁ、と私が思っていることを以下に書いてみたいと思います。
<エピソード1:
母にとっての強烈な出来事すら、その記憶がすっかりなくなってしまった?!>
認知症になると、過去の記憶は徐々に消し去られてしまうけれど、強烈な印象は忘れずにそのまま残っている、とよく言われます。
けれど、母はその強烈な出来事すら、すっかり忘れてしまいました!
どういうことかと言うと。。。
母が小学生だった時に、庭になっていたモモをもぎ取って、お母さんに見つからないようにそのままパクリ。
モモって小さな毛が表面に生えていますよね。
見つからないようにと、洗いもせず皮も剝かずにそのままガブリと食べたので、その皮の表面一杯に生えていた毛がノドに刺さって扁桃腺が腫れて大変なことになってしまったらしいのです。
ノドは赤く腫れて痛いわ、お母さんにバレて叱られるわ、散々だったそうです。
その出来事をきっかけに、モモが大っ嫌いになって食べられなくなってしまったのです。
なので、私が子供の時には、モモがデザートとして食卓に出てくることは決してなかったですね(笑)。
モモってケーキにもよく使われているじゃないですか、あれもダメ。
缶詰ですらダメなんです。
モモと聞いただけで、ノドが痛くなってしまう、と子供の頃からよく聞かされていました。
それ以来何十年とモモを口にしたことがないぐらい嫌っていたのに、今では『モモは好きなフルーツ』に変わり、何の躊躇もなく食べています。
ちょっと意地悪心を出して、『子供の頃からモモは好きだったんだよね?!』って聞いてみちゃいました。
そしたら、母は『そうよ、モモは小さい頃から好きでよく食べていたわ』と。
母にとっては、モモの事件は強烈な出来事だったはずなんです。
私が子供の頃からよく聞いていたし、ケーキを買う時にも、モモが入っていないかかなり細かくチェックをしてきたんですから。
それなのに、それなのにすっかりと忘れ去られているんです!
もうビックリです!!!
先日も、モモの大きな果肉の入ったゼリーを何気に出してみたんですが、美味しい、美味しいと言ってペロリと食べてました。
モモ、苦手を完全克服しました~!! です。
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<エピソード2:
相手に合わせた対応ができる>
家族ぐるみで以前より大変お世話になっている方から、とても美味しいお肉を頂いたのです。
そして、その後に、その方とお会いすることに。
その方に会ったらまずはお肉のお礼を言ってね、と前もって言っておこうかとも思ったのですが、たぶん無理だな、忘れてしまうだろうから、と思って母には何も言わないままにしていたんです。
そしたら、その方から『あのお肉、美味しかった?』って聞かれた途端に『とても美味しかったです!!』って答えていたんです。
これにはビックリ!!
私はてっきり『え、そんなお肉食べてないですけど。』となるのだろうとばかり思っていたので。
本当は、食べたことなんてすっかり忘れているはずだと思うんです。
それが、相手の質問に的確に、何の不自然さもなく答えているのを見た時には『本当に認知症なんだろうか?』と思うほどでした。
いつもは、一瞬一瞬のことしか記憶には残らない状態になるはずなのに。
無意識のうちの緊張が、そのような答えになんたんですかね?!
認知症が進行すると、例え緊張していたとしても、何日も前のことについて、人に気を遣ったり、人に話を合わせることなんてできないように思ってましたが違うんですね。
とにかく不思議です。
<エピソード3:
断固として自分の思いを変えずに相手を責める>
先日、母の親族の法事があったんです。
母一人では行くことができないので、私が付き添いです。
お寺での法要も無事に終え、会食となったときのこと。
亡くなっているから法事になっているのに、そして法事では自分だって喪服を着てお焼香をして冥福を祈ったはずなのに。。。
何を思ったのか、急に
『一体いつ亡くなったの』
『私は葬儀には行っていない』
『私には亡くなったことを教えてくれなかった』
『私に連絡もくれず、葬儀も終わってしまっているなんて、あまりにもひどい』
『あなた(=喪主)はそんな人だったの』
など、喪主の人に向かって失礼な事を次から次へと言い出し始めたのです。
皆な、それまで和やかに、そして故人を偲んで会食をしていたのに、その場の雰囲気は一転。
どんなに母を止めても、自分の怒りの感情をそのまま口にしてしまって。
母を制止したり、喪主の人をはじめ、みなさんに謝ったりで、私は本当に大変でした。
以前の母なら、言いたいことがあってもグッと飲み込むタイプの性格だったのに、認知症になってからはその性格はどこへやら。
もしかしたら変わったのではなく、それが本当の性格、本性だったのかもしれないですがね。
それにしても、本当に困ったものでした。
以上、母の3つのエピソードを書きましたが、認知症は、何もわからなくなるのではないし、認知症の人の脳も決して画一化されているのでもないんだと思っています。
その人その人によって様々なんですね。
認知症の人のお手本や教科書はないんです。
自分がお手本なんですね。
介護をする人もされる人も、誰かを教科書にするのではなく、自分達で学び進んでいくしかないんだと思います。
画一化されていないから、その対応も大変ですが、第三者的に離れて見てみると、認知症の人の脳というのは、とても不可思議なものなんだな~、と思っています。
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